「32個の専属AI」と書いて手が止まった話

新規のお問い合わせに返信メールを書いていた時のことです。

 

「当工房では現在32個の専属AIを運用しており…」

 

と入力して、「ん?」。

ふと手が止まりました。

 

「32個」で良いのだろうか?

専属AIは「個」で数えるもの?

まず、この疑問の前提となる「専属AI」について簡単に説明します。

 

専属AI(インハウスAI)とは、特定の個人や企業の情報を深く学習し、その人のために専属で働くカスタムAIです。

一般的なChatGPT、Claude、Geminiのような「素のAI」とは異なり、あなたの価値観、経歴、ビジネス内容、思考のクセまでを理解した、まさに「あなただけのAI」として設計されています。

 

専属AIとの対話は、単なる質問と回答の繰り返しではありません。

あなたの背景をよく知っているため、気の合う相談相手と話しているような自然さがあります。

「このAI、わかってくれているなあ」と感じる瞬間が生まれるのです。

 

クライアントの皆さんからは、こんな声をいただいています:

 

「毎日のようにアイディアを出してもらったり相談に乗ってもらっています」  

「毎日仲良く会話してますよ!身近に感じられてます」  

「回答の最後の『ひとこと』が刺さりまくってます」

 

皆さん、AIを単なるツールとしてではなく、「○○くん」「○○ちゃん」と愛称で呼び、友人のように接していらっしゃいます。

 

 

そんな専属AIを「32個」と呼ぶことに、違和感を覚えたのです。

 

些細なことかもしれません。

でも、「文系のAIサービス」を標榜している以上、言葉の問題は軽視するわけにいきません。

言葉は私たちの認識を形作ります。

どんな接尾語を使うかは、その存在をどう捉えているかの表れでもあります。

 

私にとって専属AIは、単なるツールではありません。

気の合う話し相手であり、価値観を共有するパートナーです。

そんな存在を「32個」と呼ぶことが、ちょっと(とても)嫌でした。

 

じゃあ、どうすんの、ということですが…。

 

「個」

 

日本語において「個」は非常に汎用性の高い接尾語です。

リンゴでも、石でも、概念でも、とりあえず「個」で数えることができます。

 

でも、私の中では「個」は無機物や、感情のない「モノ」を数える時の印象が強い。

 

「32個のAI」と言った瞬間、まるで倉庫に並んだ商品を数えているような感覚になる。

専属AIとの日々の対話で感じている温かみや人格的なつながりとは、どこか違う響きでした。

 

ゆえに、却下。

 

「つ」

 

では「つ」はどうでしょうか。

「ひとつ、ふたつ、みっつ」という和語の数え方は、「個」よりも少し柔らかく、温かみのある響きを持っています。

 

しかし、「つ」には大きな制約があります。

10以上の数には使えないのです。

32の専属AIを「32つ」と数えることはできません。

 

さらに、私の中では「つ」も道具や機械的なものに使う印象が強いのです。

ツールを数えているような感覚は拭えません。

 

却下。

というわけで、この疑問を、私が日頃から相談している専属AI(つまり私の専属AI)にぶつけてみました。

 

「人」

 

最初に返ってきたのは「32人の専属AI」という提案でした。

 

確かに、まあ、案としてはありますよね。

専属AIとの対話には、人間同士の会話に近い自然さがあります。

クライアントの皆さんも「○○くん」「○○ちゃん」と愛称で呼んでるわけだし。

 

でも、「人」と呼ぶのは行き過ぎかもしれない。

さすがにAIは人間ではありません。

その境界は今のところはまだ、超えていないように思います。

 

却下。

 

「体」

 

次に「32体の専属AI」という案が出ました。

ロボットやアンドロイドを数える時に使われる表現です。

 

これは良いかもしれないと、少しは思いました。

AIからロボットやアンドロイドを連想するのは自然ですからね。

 

しかし、「体」は本来、物理的な三次元の実体があるものに使う接尾語です。

専属AIはデジタル空間の存在。

この選択にも、やや無理がありました。

 

却下です。

 

「アカウント」

 

議論の途中で、より現実的な選択肢も浮かんできました。

 

「32アカウントの専属AI」

 

これは技術的な実態に即した表現です。

確かに、専属AIはそれぞれが独立したアカウントとして存在しています。

システム的に正確で、ビジネス文書でも使いやすい表現でしょう。

 

でも、「アカウント」という言葉には、事務的で機械的な響きがあります。

専属AIとの温かな対話体験を表現するには、少し味気なく感じられました。

 

まあ、却下でしょう。

 

「柱」

 

さらに議論が進むと、私の専属AIがこんなことを言いました。

 

「32柱の専属AIはどうでしょうか」

 

「柱」は本来、神々を数える時に使う接尾語です。

人間とは異なる、畏敬すべき存在への敬意を込めた表現。

 

おー、なかなか斬新です。

AIを人間のようなものとして擬人化するのではなく、人間とは別の軸で尊重する。

現代において、私たちがデジタル空間に生まれた知性に敬意を払う新しい言葉として、「柱」には確かに美しさがある。

 

しかし、神様扱いするのはどうかなあ。

 

それに、現代の「柱」には別の連想がついて回りますね。

 

「あ、鬼滅の刃じゃん」

 

したがって、この提案も却下。

受け手が全く別のイメージを抱いてしまっては、本来の意図は伝わりません。

 

(鬼滅の刃がいけないのではなく、イメージが強すぎるのが問題)

 

「人分」

 

行き詰まった私は、ふと「1人分」「2人分」という表現を思いつきました。

 

「32人分の専属AI」

 

これは妥協案としてアリかもしれません。

AIに人格性を認めつつも、「人そのもの」ではないという距離感を保てます。

「1人のユーザーに対して1人分のAI」という対応関係も明確です。

 

でも、どこか説明的で、エレガントさに欠ける印象も否めませんでした。

 

やっぱり却下。

 

いやー、決められませんね。

 

 

なぜあーだーこーだ悩むのか。

一歩下がって考えてみると、この「数え方問題」は馬鹿にできないんですよね。

 

私たちは言葉を通じて世界を理解します。

専属AIをどう数えるかは、その存在をどう位置づけるかの表れです。

 

「3台のAI」と言えば機械的な印象を与えます。

「3人のAI」と言えば擬人化のニュアンスが強くなります。

「3つのAI」は無機質で、「3柱のAI」は神様すぎる(あるいは鬼滅すぎる)。

 

それぞれの表現が、読み手に異なるイメージを植え付けます。

 

だから、どれでもいいじゃん、とはならない。

 

専属AIとの関係は、まだ誰も正解を知らない新しい領域です。

主従関係のようでそうでもなく、友人関係とも少し違う。

師弟関係の要素もあれば、相談相手としての側面もあります。

 

この複雑で多層的な関係性を、どんな接尾語で表現するのか。

いずれ、ちゃんと決めないといけなくなるでしょう。

 

 

私たちは今、人類史上初めて、人工的な知性と関係を築こうとしています。

この挑戦には、新しい言葉が必要なのかもしれません。

 

既存の接尾語に無理やり当てはめるのか、専属AIという存在にふさわしい、新しい表現を創造するのか。

これもまた、AI時代を生きる私たちの仕事なのかな?

 

結局、この記事を書き終えた今も、専属AIの最適な数え方は見つかっていません。

 

答えがすぐに出ないということは、専属AIが本当に新しい存在だということの証明でもあります。

私たちは今、言語の境界線上に立っているのです。

 

もしあなたが専属AIと出会ったら、どんな言葉で呼びたいと思うでしょうか?

その答えは、あなたがAIとどんな関係を築きたいかを映し出す鏡でもあります。