「文章をAIに書いてもらえば楽になる」と思ってChatGPTを使い始めたら、たしかにその仕事は楽になった。
でも、別の面で頭を使うようになった——そんな体験をした方は多いかもしれません。
脳の使い方が変化するのでしょう。
脳科学の観点から推察すると、
- 従来の「自分で四苦八苦して書く」執筆
- 「AIに適切な指示を出して書かせる」執筆
この2つでは、使っている脳の部位が違う可能性があるようです。

「楽になるはず」が「別の大変さ」に置き換わる
この現象は、あちこちで見つけることができます。
<映画監督とカメラマンの関係>
自分で撮影していた個人制作者が、優秀なカメラマンを雇ったとします。
確かにカメラ操作からは解放されますが、今度は
- 自分のビジョンを正確に伝える技術
- カメラマンの個性や得意分野の理解
- 撮影された映像の的確な評価
- 次のカットへの具体的な指示
などの「ディレクション」という、全く別のスキルが要求されます。
<オーケストラの指揮者>
楽器を演奏しない指揮者は「楽をしている」わけではありません。
むしろ
- 全体の調和を瞬時に判断する聴覚
- 各楽器の特性を熟知した戦略的思考
- 微細な身振りで意図を伝えるコミュニケーション技術
- リアルタイムでの修正と適応
という、演奏とは全く異なる能力を駆使しなければなりません。
<カンニングする学生>
世の中には、少数ですが、試験勉強をサボってカンニングに執念を燃やす学生がいます。
カンニングには
- 事前の情報収集と整理
- バレないための綿密な戦略設計
- 本番での高度な注意分散スキル
- 常にリスクを計算する判断力
が必要ですよね。
なので、多くの場合「素直に勉強した方が楽だった」となるのですが、それでもカンニングはなくならない。
カンニングは推奨されませんが、認知的な負荷の観点では興味深い例です。
AI執筆も、まさにこれらと同じ構造です。
「楽をしたい」と思って始めたのに
- プロンプトの書き方を覚える
- AIの癖や限界を理解する
- 出力された文章の品質を判断する
- 適切な指示を設計する
といった、別種のスキルが必要になる。
そして気づくと「元の作業より頭を使ってるかもしれない」という状況に。

脳の中で何が起きているのか
<従来の執筆:言語の脳>
自分で文章を書くとき、脳の中ではこんな活動が行われているようです。
- まず、左脳のブローカ野が立ち上がります。この領域は文の構造を組み立て、単語を適切な順序で配列する司令塔の役割を果たします。
- 同時に、ウェルニッケ野が活動し、言葉の意味を理解し、適切な語彙を記憶の奥底から探し出してきます。
- この言語のコンビが基盤を作る一方で、脳の別の領域では、デフォルト・モード・ネットワークと呼ばれる神経回路群が活性化します。これは私たちがぼんやりしているときや、アイデアを自由に発想しているときに働きます。
- ここで生まれた種のようなアイデアを、前頭前野という「戦略家」が受け取り、文章全体の構成を練り、論理的な流れを設計していきます。
これらすべてのプロセスが同時進行で行われています。
ワーキングメモリという「一時記憶の舞台」では、今書いている文、次に書こうとしている段落、そして全体のテーマが同時に保持され、絶え間なく更新されています。
<AI執筆:戦略家の脳>
AIとの協働執筆では、脳内のパワーバランスが変化します。
主役の座に躍り出るのは、前頭前野という「戦略家の本部」です。
この領域は、通常は計画を立てたり、注意を集中したり、複雑な判断を下したりするときに活躍しますが、AI執筆においては、その能力がフル動員されます。
例えば、「感動的な文章を書いて」という漠然とした思いを、「読者の体験談を交えながら、希望を感じられる結論で締める800文字の文章を作成してください」という具体的な指示に変換する作業。
これは単なる言い換えではありません。
人間の豊かで曖昧な内面世界を、AIが理解できる論理的で明確な言語に「翻訳」する、高度な認知作業です。
AIとの協働執筆では、コンピューターのプログラミングを理解するときに活性化する脳領域と似た神経回路が働いている可能性があるようです。
AIへの指示は、人間同士の自然な会話とは異なり、曖昧さを排除した論理的な構造を必要とします。
そのため、形式的な推論や構造化された思考を司る前頭頭頂ネットワークが活発に働くと考えられます。
AIが返してきた文章を読むとき、今度は「品質管理部長」としての脳が働きます。
メタ認知ネットワークと呼ばれる領域が、「この文章は意図通りか?」「論理的におかしくないか?」「感情的に響くか?」といった多角的な評価を瞬時に行います。
この評価に基づいて、再び戦略家の前頭前野が次のプロンプトを練り直します。

新しい認知作業
AIとの執筆で最も特徴的なのは、「翻訳」の負荷です。
人間の豊かで曖昧な思考を、AIが理解できる明確で論理的な指示に変換する——これは従来の執筆にはなかった、新種の認知作業です。
例えば、
- 「感動的な文章を書いて」→「読者の感情に訴える具体的エピソードを含み、希望を感じられる結論で締める800文字程度の文章を書いてください」
- 「うまく説明して」→「専門用語を使わず、3つのステップに分けて、それぞれに具体例を交えて説明してください」
こうした「プロンプトの工夫 = 翻訳作業」が、AI時代には必要です。
脳には「可塑性」があります。
新しいスキルを習得すると、それに特化した神経回路が発達します。
AIとの協働に慣れた人は、おそらく
- 論理的な指示設計に特化した回路
- AI出力の迅速な品質判断回路
- 人間とAIの橋渡しに最適化された回路
などが発達していくと考えられます。
つまり、AI時代の「書く技術」は、従来の執筆技術とは別の、新しい認知スキルとして確立されつつあるのです。
エネルギーは減らない、方向が変わる
こう考えると、AIは執筆の「エネルギー」を削減してくれるわけではないのかもしれません。
そのかわり、方向を変えます。
- 従来の執筆:思考→言語化→表現のエネルギー
- AI執筆:意図の明確化→指示の設計→結果の評価・調整のエネルギー
どちらもエネルギーを使いますが、使っている「脳の筋肉」が違ってくる。
- 翻訳:自分の意図をAIが理解できる形に変換する
- 評価:AI出力の品質をチェックする
- 反復:試行錯誤を通じて出力(執筆作品)の質を上げる
こうした「AIディレクション」の筋肉を使うようになるのでしょう。
あなたも一度、自分がAIに指示を出しているときの「脳の使い方」を意識してみてください。
きっと、従来の執筆とは全く違う認知的体験をしていることに気づくはず。
この記事は、認知神経科学の知見を参考に、AI時代の執筆行為について個人的に(勝手に)考察したものです。
AIに向き合うことで人間の脳の働きがどう変わるかについては、まさに研究が始まったばかり。
いろいろ分かってくるのはこれからだと思われます。