「人間の作ったもの」と「AIが生成したもの」:人はなぜ人間のほうに魅かれるのか

ChatGPT教室でのひとコマ:講師と生徒の対話から~

 

AIと人間の関係について考える中で、興味深い現象があることに気づきます。

それは、私たち人間が「人間が作ったもの」と「AIが生成したもの」を異なる価値で見ているのではないか、ということです。

たとえ同じクオリティの作品であっても、それが人間の手によるものと知れば価値を感じ、AIが生成したと分かれば価値が下がる…。

このような心理が私たちに備わっているとしたら、それはなぜなのでしょうか。

前回、「AI心理学」という妄想的な視点からAIと人間の関係性について考えましたが、今回はその続きとして、ある受講生との対話を通じて、この興味深い現象の本質に迫ってみたいと思います。

 

「先生、先日の『AI心理学』の話の続きなんですが」

 

ChatGPT教室の終了後、前回も質問してくれたNさんが話しかけてきました。

 

「ああ、AIの心理と人間の心理についての話ですね。何か新しい気づきがありましたか?」

 

「はい。先日、AIアートの展示会に行ったらですね、技術的には素晴らしい作品が並んでいたんでしょうけど、なんだか心に響きませんでした。でもそのあと、地元の美術館で見た学生の習作展では、技術的には未熟な作品なのに、なぜか心を打たれたんです」

 

「なるほど。アートがお好きなんですね、Nさん」

 

「じつは、こんな顔ですが美大を出てるんです(笑)」

 

「それ言うなら、私もこんな顔でChatGPT教室やってます(笑)。…で、AIアートと学生の習作の話で、習作のほうが感動したと。違いは何だと思いますか?」

 

「何でしょうね。単に『人間が作ったから』という理由?」

 

「案外、深い人間心理が関係しているかもしれませんね。少し掘り下げて考えてみましょうか。時間あります?」

 

「大丈夫です」

 

「たとえば、スーパーマーケットでの買物を考えてみましょう。同じ野菜でも、農家さんの顔写真がついているものと、そうでないものがありますよね。ま、顔写真がつき始めたころは斬新な手法でしたが、今じゃどこもかしこもそれやっていますけどね」

 

「ああ、確かに。でも私、今でもつい生産者の写真がある方を選んでしまいますよ」

 

「私もそうです。なぜだと思いますか?」

 

「うーん…なんとなく安心できるというか」

 

「その『なんとなく』が重要かもしれません。人間には、物事の『起源』や『背景』を重視する性質があるようです。AIアートと人間の作品の違いも、同じような心理が働いているのかもしれません」

「作り手の存在を知ることで、価値が変わるということですか。同じものでもそうなるんでしょうか」

 

「どうでしょうか。でもたぶん、そうなると思います。さらに言えば、人間の作品には『努力』や『成長過程』という物語が含まれています。たとえ駆け出しのような作品でも、そこには作者の試行錯誤や情熱が感じられる」

 

「なるほど。そう考えると、先日の学生作品展で心を打たれた理由が分かる気がします。学生、つまり人間が作成したものだと知ったから、作品のむこうに人間の努力や成長を感じた…みたいな」

 

「似たような現象は、文章でも起きているようですね」

 

「文章でも、ですか」

 

「ええ。最近、面白い観察をしました。同じ内容の文章でも、AIが生成したと分かると読もうとしない人がいる。けれど、人間が書いたと知ると、熱心に読んでくれる」

 

「確かに私も、AIが生成した記事だと分かると、なんとなく読む気が削がれます」

 

「AIの生成物には、そういった『物語』や『成長の痕跡』が見えにくい。だから、どんなに技術的に優れていても、人の心に深く響きにくいのかもしれません」

 

「でも、そのAIを活用して作った人の物語はありますよね?」

 

「鋭い指摘です。最近のAIアート作家の中には、自分とAIとの関係性そのものを作品として提示する人も出てきているようです。つまり、『人間とAIの共同作業』みたいな新しい打ち出し方でね」

 

「面白いですね。AIだけ、人間だけ、という二項対立ではなく」

 

「これはビジネスにも重要なヒントを与えてくれるんじゃないでしょうか。たとえば、何かの目的でAIを使ったシステムを開発する際も、単なる効率化ツールとしてではなく、人間的な部分をキープしなくてはならないんじゃないですかね」

 

「ん? ちょっとよくわかりませんが」

 

「たとえば、業務プロセスをAI化する際、完全自動化を目指すのではなく、あえて『人間の判断』や『感性』が活きる部分を意図的に残すんです。そうすることで、AIと人間それぞれの良さを活かせます。情緒的に言えば、『冷たい』感じにならないようにです」

 

「なるほど」

 

「あと、『人間が背後にいます感』は重要なんでしょうね。技術だけでなく『物語』とか『関係性』とかも? それがますますポイントになってくるのかな、なんて思ってますけど」

 

「今日の話で、人間とAIの関係について、新しい見方が得られました。ありがとうございます」

 

「こういった雑談で、私たち自身も学びを深められますね。話しかけてくれてありがとうございました。今後もまた面白い話ができればと思います」

 

(この記事は、ChatGPT教室での対話をもとに構成されています)

(追記:2025年3月12日)

 

この対話で、AIが生成した作品と人間が作成した作品に対する価値観の違いについて考えさせられました。

これは、天然ダイヤモンドと合成ダイヤモンドの価値観にも通じるものがあるのではないでしょうか。

 

天然ダイヤモンドは、地球の奥深くで長い年月をかけて生成されるため、希少性が高く、歴史的に王侯貴族などの富の象徴として扱われてきました。

合成ダイヤモンドは、実験室や工場で人工的に作られますが、倫理的な問題や環境負荷が少ないという点で評価されています。

しかし、宝飾品や投資の世界では、天然ダイヤモンドの方に価値があると見做されています。

 

この現象の背景には、私たち人間の「物語を求める本能」があるのかもしれません。

人類学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は、著書『サピエンス全史』で、人間は「物語を共有する能力」によって大規模な協力を可能にしてきたと指摘しています。

 

物事の起源や背景、そこに込められた感情や意図に価値を見出す心性は、人間の社会性の核心部分かもしれません。

AIが技術的に進化すればするほど、逆説的に「人間らしさ」の価値が浮き彫りになる…これが現代の興味深い状況なのでは?

 

AIと人間の共生を考える上で重要なのは、単なる効率や正確さだけでなく、「人間らしさ」を適切に組み込むバランス感覚なのかもしれません。

どんなに優れたAIであっても、それを活用する私たちの「物語」が、最終的な価値を決定するのでしょう。