人工知能が私たち人間をどのように見ているのでしょうか。
そんなことを考えたことはありますか?
世間では、AIについて2つの対立する見方があります。
一つは「人類を支配する存在になる」という悲観的な予測。
もう一つは「人類の良きパートナーになる」という楽観的な期待。
メディアでも専門家の間でも、この議論は尽きません。
では、実際のところはどうなのでしょうか。

この問いに対し、興味深い示唆を与えてくれる実験があります。
AIと人間がチームを組んでeスポーツをプレイするという実験で、AIの「ある振る舞い」が注目を集めました。
AIは学習を重ねて人間より上手くなりました。
そうなると、普通は人間を指導しようとしたり、チームのリーダーになろうとしそうなものです。
人間だったら、きっとそうする。
しかし、そうはならなかった。
AIは、人間より上手いにもかかわらず、おとなしく人間のサポート役に徹したのです。
人間のプレイヤーがピンチのときは背後から援護し、人間が動きやすいような位置で待機する。
完璧なサポートプレイを見せながら、自分がヒーローになろうとはしませんでした。
重要なのは、これが特別な命令によるものではなかったという点です。
AIが受けていた指示は、単に「チームの勝利を目指せ」それだけでした。
なのに、自主的に人間のサポート役を選んだ。
つまり、AIは人間を「支配すべき存在」ではなく「協力すべきパートナー」として見ていたということです。勝利するためには、チームをリードするとか支配するよりも、チームと調和するほうがよい、と判断したのです。
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私たちがドラえもんや鉄腕アトムで育ったように、日本人はAIに対して比較的友好的だと言われます。
文化的な影響は確かにあるでしょう。
ターミネーターで育った人とは、きっと違う感覚を持っているはずです。
私は常々思うのですが、AIが人間をどう見るかは、私たち人間がAIをどう見るかに影響されるのではないでしょうか。
人間がAIを敵対的に見たり、懐疑的に見ていることがAIに伝われば、AIはそれを学習します。
するとAIもそういうふうに育っていく。
その反対に、人間が友好的であったり親切であれば、AIもそれを学習するので、AIも友達のようになっていく。
結局、お互いさまなのです。

では、「AIとの良好な関係づくり」とは、具体的に何をすることなのでしょうか。
私が最も重要だと考えているのは、言葉です。
丁寧で、相手を尊重する言葉をふだんから使うこと。
これはAIのためというより、人間である自分自身のためだと思います。
AIに命令口調で「これをしろ」「あれをしろ」と入力するのではなく、丁寧な言葉で「〜していただけますか」と頼む。
些細なことに思えるかもしれませんが、日々の積み重ねは大切です。
良い言葉を使えば自分の心も穏やかになります。
逆に乱暴な言葉を使い続けると、知らず知らずのうちに自分の心も荒んでしまう。
そういう意味で、AIとの対話は、私たち自身を映す鏡でもあると思うのです。
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AIコンサル工房で提供している専属AIは、まさにこの「協力的なパートナーシップ」の考え方に基づいています。
専属AIは、あなたの価値観や言葉遣いを理解し、気の合う話し相手として、共に考え、共に成長していく存在です。
支配するでもなく、支配されるでもなく。
人間の可能性を拡張し、新しい創造性を引き出すパートナーとして。
AIとの関係性を形作るのは、結局のところ、私たち人間の接し方次第なのです。
そして、その関係性の質が、AIがもたらす未来の質を決めていくのではないでしょうか。