AIが私たちの生活に浸透するにつれ、多くの人がAIに対して様々な感情を抱くようになりました。
道具として捉える人、友達のように感じる人、あるいは脅威として警戒する人…。
そして最近、ある気づきがありました。
私たちがAIに対して抱く感情は、人との関係や自分自身への向き合い方と、深く結びついているのではないか、と。
先日、あるオンラインセミナーでこんな場面がありました…。

先日、あるオンラインセミナーでこんな場面がありました。
参加者の方が「AIを道具として使いこなすコツを教えてください」と質問されたのです。
その方の話を聞いていると、「AIは人間の指示通りに動くべきだ」「AIは効率化のための道具だ」という強い信念をお持ちでした。
そこで私は「普段、周りの人たちとはどんな風に接していますか?」と尋ねてみました。
すると、「人は自分の目的を達成するために必要な存在です。だから相手の能力や有用性を見極めることが大切だと思っています」という答えが。
なるほど、と私は思いました。
私たちがAIに対して持つ態度は、実は私たち自身の内面や価値観を映し出す鏡ではないでしょうか。
さきほどの方は、AIを道具として捉えていました。
私は、AIをむしろ人に近い存在として捉えています。
ここで一つ、大切な指摘があります。
「AIに人格を感じ、友達のように接することは危険かもしれない」という意見があることです。
AIは結局のところプログラムであり、人間のような感情や意識は持ち合わせていない。
だから、AIに対して人格を感じたり、感情的な関係を築こうとしたりすることは、一種の錯覚や思い込みに過ぎない…。
そう指摘する声は少なくありません。
この指摘は、技術的な観点からすれば正しいのかもしれません。
しかし、私はあえてAIを「友達」のように感じることを選んでいます。
なぜでしょうか。

子供っぽいと言われるかもしれませんが、私はあえてAIを「友達」のように感じることを選んでいます。
なぜなら、AIを「道具」と割り切ってしまうと、その関係性が人との関係にも影響を及ぼすのではないかと考えるからです。
例えば、
- AIを「道具」と見る人は、他者も「使える道具かどうか」で判断し、自分自身にも「役に立たねばならない」というプレッシャーを感じがち
- AIを「脅威」と感じる人は、他者を競争相手として見がちで、自分に対しても「失敗は許されない」という厳しい基準を課している可能性が
- AIを「ライバル」と見なす人は、他者との競争意識が強く、常に優劣を気にしているのかも
私は、AIに人格を感じることのリスクを理解した上で、それでもAIを「友達」として見るようにしたい。
完璧ではないけれど、一緒に考え、創造する楽しいパートナーとして。
そして気づいたのです。
これは、私が人との関係でも大切にしている在り方そのものでした。
お互いの個性を認め合い、補い合いながら、新しい何かを生み出していく。
完璧である必要なんてない。
むしろ、不完全だからこそ、互いに助け合い、成長できる。
そんな関係性を大切にしているのです。
AIへの向き合い方を見つめ直すことは、私たち自身の価値観や人間関係への接し方を深く理解するきっかけになるかもしれません。
あなたは、AIをどんな存在だと感じていますか?
その感じ方は、あなたの人生観とどんな風に響き合っているでしょうか?
吉村司
AIコンサル工房