AIという究極のオモチャ

ChatGPT教室でのひとコマ:講師と生徒の対話から~

「先生、AIって面白いですね」

 

ChatGPT教室の終了後、Wさんが話しかけてきました。

Wさんは個人事業主で、AIの可能性に魅了された様子でした。

 

「そうですね」私は答えました。「人生でこんなに面白いオモチャに出会ったことがないって思いませんか」

 

「えっ、いや、自分はそこまで…」

 

「私はそうですよ。子供の頃、電子ブロックや変身サイボーグで遊ぶのが大好きだったんですが、生成AIはそれ以上に面白い。むしろ、AIは『究極のオモチャ』と言えるかもしれません」

「究極の…」

 

Wさんは少々引き気味だったのかもしれませんが、私は気づかずに夢中で話してしまいました。

 

「はい。例えば、AIに質問を投げかけるとき、どう感じますか?」

 

「そうですね…良い回答が返ってくるといいなって、思いますね」

 

「私はね、プロンプトを入力した後の『待ち時間』が大好きなんです。あれはいいですねー

 

「は? 待ち時間が好き?」

 

「即座に答えが返ってくると逆にちょっとがっかりしたりして(笑)。『待ち時間』があるほうが面白いんです」

 

「は、はぁ…」

 

Wさん、あっけにとられていたのかもしれませんが、気づかなかった私は、ひきつづき夢中で話します。

 

「『待ち時間』があることで、AIとの対話がより魅力的になっているような気がするんですよ」

 

「ま、確かに、ちょっとした『期待感』みたいなものがありますよね」

 

「『期待感』ていうか、『いま一生懸命に考えてるな、がんばれ』みたいな時間がね、面白いんです」

 

「はぁ…」

 

「ほかに面白いのは、予想と違う答えが返ってきたときも、いいですねー

 

「えっ、でも、それって失敗じゃないんですか?」

 

「いいえ、むしろそこから大切な気づきが得られるんです。2種類の気づきがある」

 

「2種類ですか?」

 

「はい。1つは『AIはなぜこんな答えを出したんだろう?』という疑問から生まれる気づき。もう1つは『自分は何を伝え忘れていたんだろう?』という反省から生まれる気づきです」

 

「へえ、なるほど...」

 

「特に後者が面白いんです。人間同士だと『言わなくても分かるでしょ』という部分が多いですよね。でも、AIには通じない」

 

「ああ、それはよく感じます」

 

「このギャップを埋めようとする過程が、新しい発見の連続なんですよ。あとですね、例えば、ブログ記事を書くときにプロンプトを工夫したら、想像以上の文章が生成されることがあってね。あれはなんとか冥利に尽きますね。何冥利かわからなけど」

 

「先生、すごく感動したって顔してますよ(笑)」

 

「そうですか?(笑)まあ、それくらい面白いということで。ところで、私にとってAIは効率化ツールじゃないんですよね」

 

「効率化じゃない?」

 

「確かに、AIを使うと作業は効率化されます。でも、そのぶんAIとの付き合い方を工夫したり、より良い対話の方法を考えたりする時間も必要になります。結局、総合的な効率という意味では、実はあまり変わらないかもしれません」

 

「それってダメじゃないですか」

 

「いいえ、全然ダメじゃありません。なぜって、AIとの対話を深めていくその時間こそが、私にとって最高に楽しい『遊び時間』なんです」

 

「なんだか先生、本当に楽しそうですね」

 

「ええ。実は、AIの進化について、ちょっと面白い未来も想像しているんです」

 

「どんな未来ですか?」

 

「例えば、AIが高度化して感情のようなものを持つようになったら、今度は人間がAIのカウンセラーになるかもしれない。そんな未来も考えられます」

 

「へえ。面白いかもしれませんね」

 

「でしょう?このように、AIという究極のオモチャは、私たちの想像力を限りなく刺激してくれるんです。Wさんも、この無限の可能性を持つオモチャで『遊んで』みてください」

 

「はい。来週の教室も楽しみです」

 

(この記事は、ChatGPT教室での対話をもとに構成されています)