専属AIを設計するとき、かならず「不気味の谷」対策をしています。
「不気味の谷」とは…。
- ある程度、人間に似ている人形やロボットは可愛い
- でも、人間にすごく似ている人形やロボットは怖い
というやつです。
たとえば
- 鉄腕アトムは可愛い
- たぶん、ピノキオも可愛い
でも、
- 精巧な蝋人形や、リアルなマネキンは、いやな感じがしますよね。
- 医療のトレーニングなどで使われる人間そっくりなロボットみたいなやつも、気色悪いです。
- 小学生のころの私が、図工の時間に、同級生の顔をよーく観察して描いた「山本君の顔」も、ぶっちゃけホラーです。
つまり、人間に似せれば似せるほど、怖くなる。
ところが、人間に完全に一致したとき――人間そのものになってしまえば、怖くないです。
- 人間にちょっと似ていると可愛い(好感度↑)
- すごく似ていると気持ち悪い(好感度↓)
- 完全に人間であれば怖くない(好感度↑)
この心理現象には
「不気味の谷」
という名前がついています。
グラフで描くと、上昇していたカーブが谷のように落ち込み、最後は元に戻るので、谷。

この現象は、基本「見た目」の話です。
でも、「見た目」に限らない「不気味の谷」もありまして。
AIが話す音声についても、「不気味の谷」が存在すると言われています。
合成音声の技術はここ数年で劇的に向上しました。
昔のロボットっぽい音声から、かなり人間らしい音声を生成できるようになっています。
でも、「かなり人間らしい」がゆえに、微妙な違和感が気になることがあります。
- イントネーションがちょっと不自然
- 感情の込め方がどこか機械的
- 話すスピードやタイミングが人間離れしている
こうした要素が重なると、「人間に近いけれど、何かが違う」という気持ち悪さを感じる人がいるようです。
さらに最近では、「対話」そのものにも不気味の谷があるのではないか、という話を聞いたことがあります。
こちらは主に、テキストベースでのやりとりの話です。
AIが生成する文章は、文法的には完璧です。
論理的にも整合性が取れています。
でも、「人間らしい温度感」や「その人らしさ」といったものが欠けていると、読んでいて違和感を覚えることがあります。
「正しいけれど、何か物足りない」
「丁寧だけれど、血が通っていない感じがする」
そんな印象を受けることがあるかもしれません。
もっとも、こっちの谷は「見た目」や「音声」の谷ほど強烈ではないと思います。
テキストという媒体の特性上、人間らしさの判断材料が限られているからでしょう。
▽
AIコンサル工房が提供している専属AIは、基本的にテキストベースでの対話です。
そのため、「見た目」や「音声」による不気味の谷の影響は、視覚的・聴覚的なAIに比べれば小さいと言えるでしょう。
ただし、完全に無縁というわけでもない。
専属AIはあなたのことを深く学習し、あなたの価値観や思考パターンに寄り添った対話をします。
「この人のことをよく理解している相手」との対話には、自然と親しみやすさが生まれ、一般的なAIとの対話で感じるかもしれない「機械的な冷たさ」は軽減されます。
とはいえ、それでも「何かが違う」という違和感を与えてしまう可能性はゼロではありません。

一方、分身AIについては、少し事情が異なります。
分身AIは、特定の人物(多くの場合はあなた自身)を模倣することが目的です。
「その人らしく振る舞う」ことを求められます。
テキストベースとはいえ、「そっくりさ」を追求するがゆえに、不気味の谷に陥るリスクが専属AIより高いと考えています。
「なんとなくその人っぽいけれど、微妙に違う」
「言葉遣いは似ているけれど、考え方が浅い感じがする」
こうした印象を与えてしまうと、使う人にとって気持ち悪い体験になってしまうかもしれません。
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専属AIを設計するとき、私は常に「不気味の谷」対策をしています。
前述したように、専属AIの場合、「不気味の谷」の影響は比較的小さいと思われます。
実際にクライアントから「気持ち悪い」というレポートをいただいたこともありません。
なので、これはただのこだわりに過ぎないかもしれない。
でも、こだわりだと思いながらも、やるんですよね。
こだわりの積み重ねが、もしかすると「長く愛されるAI」を作る上で大切なのかもしれないですし。
具体的には、こんな対策をしています。
- 過度に人間らしくしすぎない:完璧すぎる人間を演じさせるのではなく、AIらしさも適度に残す
- 一貫した個性を持たせる:ブレのない、予測しやすいキャラクターにすることで、安心感を生み出す
- 期待値を適切に設定する:「これはAIです」ということを明確にし、人間との違いを隠さない
そんなことを考えながら、今日も専属AIの設計に取り組んでいます。